みずぐち整骨院 / 水口 清登先生の紹介

  MRO(J) No.3049
  名前 水口 清登(ミズグチキヨタカ)
  生年月日 1964年7月24日
経歴
1982年4月 北信越柔道整復師専門学校 入学
1982年4月 金沢市某整形外科病院に勤務
1984年3月 北信越柔道整復師専門学校卒業
1984年3月 柔道整復師免許所得
1988年7月 みずぐち整骨院を開業
1995年12月 ジャパンオステオパシーセミナーに月1回に参加する
1997年10月 全日本オステオパシー協会と合併

始めに・・・
 今私は、人口4万人の小さな市で自由診療を主体に治療に当たっています。私の夢は「患者さんを一日でも早く健康体に戻す手助けをしたい」というものでした。オステオパシーとの出会いと自由診療にいたるまでの経緯を紹介させて頂きます。

レントゲンを見て

 私は、柔道整復師専門学校に通いながら整形外科で働き勉強させて頂き、何万枚ものレントゲン写真を見させて頂きました。そこで患者によっては、レントゲンでは何ら異常を認めないのに症状が強く出ている人、また、レントゲンでは異常が認められるのに症状が軽い人、と千差万別でした。整形外科では投薬・局注といった処方で、自分の物理療法自体の治療成績も把握できませんでした。そのころからカイロプラクテックのセミナー、整体のセミナー、テーピングのセミナー等、数々のセミナーを受講しましたが、病院勤務という生活の安定した環境のせいもあり、あまり身が入って勉強していなかったと思います。

■開業
 整形外科にて、六年間勉強させて頂いて開業しました。当初は電気治療、マッサージにて、患者さんはたくさん来院してい頂き、おりしも日本経済はバブルの最中であり、この様な経済状態がずっと続くのではないかと思っていました。日頃の患者さんに対しても、忙しさのあまり患者の話を聞かない、親身に対応出来ない、と今になって反省することも多々あります。その後、バブルがはじけ不景気がやって来ると「不景気が無い」と言われた医学界にも収入の減少が始まりました。当院も例外ではなく、不景気を打破するには「患者さんを早く楽にしてあげること」と思い種々のセミナーに東京、大阪、金沢へと足を運びました。

■師との出会い
 私にとって最大の転機がやって来ました。1995年、友人から「ジャパンオステオパシーの勉強会を開くから来ないか」と誘いを受け、石川県は和倉温泉の石蔵先生の勉強会に参加させていただき、オステオパシーと初めて出会いました。関節の遊び運動という微小な関節運動の原則的なものでした。しかし、この動きが分からないと、今後の治療が分からなくなると説明され週1回ずつ四肢の関節遊び運動の練習を行いながら、すぐに使える脊柱のテクニックも教えて頂き、ベーシックな基礎を学びながら、体の治療に大きな力は必要無いんだという事が次第に分かってきました。この微小な関節遊び運動で今まで治せなっかた患者も、随分良い結果が出せる様になってきました。実際の講義での「関節遊び運動」は、本で読んだ知識とは全く別物の微小な運動でした。今まで教わった数々の手技療法のどれとも全く違うものであり、その微小な運動範囲を少しでも超えてしまうと、関節はいとも簡単に硬くなってしまうことも知りました。こうして、原則を指に覚えさせながら、実際に役立つ治る為のオステオパシーを教えて頂きました。その頃から、自分の整骨院では治せない患者と一緒に、石蔵先生に診て頂くようになり診断ポイントだけを治療するだけで、見ている前で姿勢がいとも簡単に変化し、患者が軽快してしまう技法に、「まるで魔法のようだ」と患者さん共々感激し、症状と原因はまったく別のものであり、何故今まで患者さんを治すことが出来なかったが,少しづつ分かってきました。。そして、全日本オステオパシー協会と合併し、国際セミナーにも参加させて頂ける様になりました。

■患者さんの利益
 その頃から、自分なりに今まで治せなかった患者さんも、少しづつ良い方向へ導ける様になりましたが、診断ポイントを少しでも間違えると患者さんの利益にならない。すなわち症状が悪化してしまう。それが今まで「好転反応」という文字で片付けていた事がわかり、来院して頂ける患者さんに利益のある治療をするには、時間という壁に直面し、今の保険診療で治療していると回数ばかり多くなり、患者さんの利益にならない。と思うようになり平成9年頃から自由診療と保険診療に分けて治療させて頂き現在に至っています。



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